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僕の人生はラフティングに出会って変わった!やりたい事をやる大切さ…

AKラフティング

こんにちは!

“Aki”のラフティングとの出会いをご覧頂きありがとうございます。

このページでは、僕“Aki”がどのようにしてラフティングに出会い、それ以降どう人生が変わって行ったのか、という事を紹介して行こうと思います。

僕にとってのラフティングとは何なのか?

こういった事を赤裸々に書いて行きたいと思います。

僕”Aki”について

ラフティング歴10年以上で、資格も複数所持している業界では割とベテランです。

日本RAJラフティングガイド資格・日本カヌー連盟ガイド資格

ガイド資格日本カヌー連盟資格

メディカルファーストエイド資格・スイフトウオーターレスキュースキル資格

メディカル資格スイフトウオーターレスキュースキル

資格は結構頑張って取りました。

なお、このページではラフティングの経歴や思いがメインです。

なので、ブログの経歴を知りたい方は、Akiのプロフィールと自己紹介&当ブログへの思いをどうぞ。

ラフティングに出会う前のAkiの半生

ラフティングに出会う前の僕を体で表現したら、こんな感じです。

ラフティングとの出会いを語る前に、ラフティングと出会う前の僕”Aki”について語らせてください。

ラフティングと出会う前の僕は当時21歳で、大手食品メーカに勤めるどこにでもいる若者でした。

勉強嫌い、早くお金を稼ぎたいという思いがあったので、大学には行かず高校を卒業後すぐに地元から離れ大阪の食品メーカに就職。

就職した当時、「親や友人からは勉強嫌いなのに大手に入れたから、これで人生安泰だね!」と、言われましたが…

実際働いてみると、想像よりもハードで働くことの辛さを知りましたね。

あき
Aki

機械の一部になったかのような仕事で、正直つまらなかったよ…

「ロボにやらせろや!」って毎日思っていました(´;ω;`)

我慢して働いて、残業と夜勤をしても手取り20万円以下。

毎日辞めたいと思っていましたね。

とはいえ、特にやりたい事もなかった僕は結果的に3年間食品メーカで働き続けました。

今思えば人間関係は凄くよかったので、その部分で続けられたんだと思います。

また、兵庫の田舎から来た僕は、大阪での夜遊び(都会の魅力)にハマったのも事実。

あき
Aki

当時は仕事にやりがいを感じなかったから、いつも休みの日何するかを考えていました。

休日は合コンや街コンに行くのが楽しみで、とにかくお酒飲んで散財することでストレスを発散する毎日。

ですが、「このまま好きでもない仕事を一生続けていくのかな?」ふと、こんな疑問と葛藤が同時に襲ってくるんですよね。

でも、当時の僕はやりたく事もなく、辞める勇気もないまま、結局3年間何もしませんでした。

ラフティングとの出会い

そうやって漠然とした時期を過ごしていた僕ですが、21歳の時にラフティングと運命的な出会います。

きっかけは、当時仲の良かった先輩が、ラフティングを体験したのですが、

高さ5mから飛び込んだり、ボートが転覆してマジで楽しかった!

マジで楽しそうに話しをするので、先輩の話を聞いているだけでワクワクしたんですよね。

イメージとしては、こんな感じ。
ちなみに飛んでいるのは嫁です(笑)

僕は、すぐに仲のいい友人数名を集めてラフティングツアーに申し込みました。

思えば、僕は子供の時からスリルを求める傾向にあったので、先輩の話がより魅力的に聞こえたんだと思います。

どうせなら非日常のスリルを味わいたい!日本一の激流を体験したい!

そう思い、国内一の激流と呼ばれる四国の吉野川でラフティングする事になりました。

«【日本一の激流!】大歩危小歩危2つのラフティングコースの違いをプロガイドが解説。

当時の僕は、怖いもの知らずだったので、ラフティングもぶっちゃけ舐めて挑んでいました。

ラフティングは、かかとのないサンダル・サングラスなどは基本不可。

ですが、当時の僕は、インストラクターの指示を無視。

あろうことか、クロックスとサンダルで日本一の激流を下りました。

あき
Aki

開始5秒でクロックス流されたよ…

初めて川の怖さと激しさを体感しましたね。

その後は、ガイドの指示に従い、無事日本一も激流と呼ばれる四国の吉野川も下る事ができました。

今まで経験したこともないスリルやワクワク感に夢中になり、ラフティングの虜に。

あき
Aki

あれだけ激しい激流をお客さんを乗せて、的確な指示と操船で下るガイドの姿に素直に惚れました!

この経験から、僕はラフティングガイドになるという決心を固め、

自分のやりたい事はコレだ!」と、初めて人生で思えました。

会社を辞める

会社を辞めた時の解放感を体現してみた…


ラフティングに出会い自分もガイドになるという目標を持ってからは、僕の行動は速かったです。

ラフティングをした翌日には、「ラフティングガイドになりたい!」と、ツアーした会社に伝えました。

すると、「4月からガイドになるためのトレーニングを開始するので、本当に興味があるならそれまでに準備して!

と、言われ会社を辞める決意を固めました。

あき
Aki

がっつり、ラフティングしたかったので、会社を辞める選択に迷いはなかったよ。

ただ、人間関係は良かったのでお世話になった先輩や友人に言い出すのは、勇気が要りましたね。

とはいえ、退職する際ほとんどの人が気持ちよく見送ってくれました。

仕事にはやりがいを感じませんでしたが、先輩や友人と遊んだ経験は僕にとってはデカすぎました。

ノリの良さや、勢いは大阪で夜遊びしたからこそ、身についた結果です。

ラフティングの道に行く!

ラフティング以外にカヤックもするよ!

会社を辞め一人暮らしをしてからは、新天地に引っ越すので初めは不安でした。

ただ、ラフティングが始まってからは忙し過ぎてそれどころではなかったです。

4月になり本格的なトレーニングが開始。

同時に、僕と同じ時期にラフティングの世界に飛び込んだ同期も入社しました。

あき
Aki
同期は全員で5人で、年齢も前職も皆バラバラだったよ!

僕は当時21歳ということもあり、2番目に若かったです。

そこらから、ラフティングのトレーニングを開始。

ちなみに、「トレーニングって何するの?」って思うかもですが、

基本は、ボートをコントロールする練習です。

ラフティングガイドのスキルはボートを如何にコントロールするか!

なので、基本のストロークの練習はもちろん、川の流れを体で覚えるために何度も川を下りました。

あき
Aki

他にもスイムや、ロープワークなど様々なスキルをトレーニングしていくよ。

3倍力システムなど、学ぶことは色々あるよ。

ガイドには、資格があるのでそれに合格するために必死にトレーニングしました。

2ヶ月間頑張ってトレーニングした結果…

同期全員がガイドの試験に合格しました(^^♪

僕たちは晴れてラフティングガイドの道をスタートした訳です。

ガイド試験に合格したら、晴れてガイドデビューという流れで実際にガイドできるという感じです。

僕も含めて同期は全員合格し今でも皆ラフティングのガイドをしています。

ガイドの資格は試験はあくまで通過点で、ガイドはデビューしてからの方が大変なんです。

ラフティングで日本一の激流に挑む

ガイドデビューし、ある程度経験を積むと国内一の激流吉野川のトレーニングすることに…

お客時代吉野川を下っているのですが、自分がガイドをすると、想像の30倍激流でした。

四国の吉野川は国内屈指の激流で有名。

何度もフリップ(ボートが転覆)し、何度も挫折しました。

>僕はセンスがある方ではないので、ひたすら練習するしかなかったんですが、同期にセンスの塊のような奴が!

そいつは1年目から日本一の激流でガイドし転覆もほぼせず、マジで上手い…

年齢も近く、周りからよく比べられてきたので、僕は当然ライバル視するんですが、向こうは遥か彼方の存在。

あき
Aki

当時は悔しくて、毎日一人で泣いていました(´;ω;`)

とはいえ、練習して上手くなるしかないので、吉野川を1日5本とか下ってとにかく量をこなしました。

数をこなせば、流石の僕でも激流に対する判断力やボートコントロールは徐々に身についていき、

2年目のシーズンには吉野川でガイドをさせてもらえるように!

吉野川でガイドデビューした時はマジで嬉しかったのを覚えています。

ラフティングに伸び悩む

シーズンを重ねて行く中、少しづつ技術やトーク力も磨かれていきましたが…

3、4年したころには、「同期のライバルには絶対に勝てないかも…」

こんな風に思うことが増えました。

あき
Aki

確かに、上手くはなったけど過去の自分と比べてです。

僕が成長してもライバルは更に上を行くんですよね。

このままでは絶対に勝てないと思った僕は、自分の中で限界を決めてしまい、それ以降はなかなか成長できませんでした。

ただ、この時にも常に悔しさはあったんで「どうしたらもっとうまくなれるのか?

それは、ずっと考えていました。

海外に行く決意をする

もう自分はこれ以上は上手くはなれない。

ラフティングを初めて5年目ぐらいに、僕はそう思っていました。

ところが、ある日会社のボスから「海外に行ってみるのはどうだ?

こんな提案を受けたんですよね。

あき
Aki

迷ったけど、上手くなりたかったから海外に行く決意をしたよ。

この一言がきっかけで、僕はオーストラリアで修行する事に!

結果的にはオーストラリア行って良かった!

もちろん、直ぐに海外でラフティングするという決断はできませんでしたよ。

英語も喋れないし、冬(シーズンOFF)はゆっくり日本で過ごしたいって思いが強かったから。

あき
Aki

そもそも海外に住むという事には興味がなかったんだよね。

こういった理由で即決はできず、しばらく自分の中でいろいろ考える日々が続きました。

思い考える日々(真剣)です。

本当に海外に行くほど好きなのか?」、「日本でゆっくり過ごせばいいじゃん!

こんな風に、海外でラフティングをしない理由もたくさん考えていましたね。

とはいえ、「今やらないと一生後悔するかも!

最終的には、こう判断しオーストラリアで修行する事を決めました。

決めて手は、年齢と結婚を考えたから。

ラフティング修行はワーホリ制度を使い行く必要がありました。
ワーホリは30歳までなので、当時26歳だった僕は行くのは今と決意。
あき
Aki

あとは、結婚を考えた時に今やらないと一生できそうにないと思ったから。

独り身の時にやり残しがあると、結婚した時に絶対またやりたくなると思ったんですよね。

当時の僕は、結婚したら好きな事はできないと考えていたので、今のうちにやりたいとやろうってなりました。

周りのガイド仲間を見ても、結婚後もラフティングを現役で続けている人って少なかったので余計そう思ったんでしょうね。

こんな感じで、僕のオーストラリア修行はスタートしました。

オーストラリア編

オーストラリアに行くと決めてからは、知り合いの英会話教室に中学生のクラスに交じって毎週2回授業を受けました。

僕の英語レベルは悲惨でしたが、オーストラリアに行くまでの2ヶ月間で少しでも上達しようと努力しましたが…

結局、ネイティブ相手に通用する英語レベルまでは到達できませんでしたね。

最終的には、トーマス(ルームメイト)と簡単な会話ぐらいなら、できるようになったよ

オーストラリアのラフティングシーズンは11月~6月頃。

丁度日本(日本は5月~10月)と反対になります。

僕は日本のラフティングがOFFである10月から本格的に勉強した感じです。

結局ほぼ英語ムリなまま、オーストラリアに到着。

事前にオーストラリアのラフティング会社へアポを取っていたので、面接まではスムーズでしたが…

面接時の英語は何言ってるか全くわかりませんでした。

あき
Aki

でも、トレーニングしてOKだけは貰えたよ。

無事にオーストラリアのラフティング会社でトレーニングを認めてもらえ、ココから僕のオーストラリアラフティングがスタート。

オーストラリアのラフティング

僕はラフティングには多少自身を持っていましたが…

オーストラリアに行くと全く通用しませんでした。

というのも、オーストラリアの川は、僕が日本で下ったどの川よりも水が少なかったです。

水が少な過ぎるので、岩に乗っかかるとか当たり前。

水が少ない=テクニカルです。

岩をよけたり、あるいは岩に当てたり、クルーを移動させたりしながら下って行くのです。

僕はハイウオーター(水が多い)川は得意なのですが、オーストラリアの水が少ない(渇水)の川は苦手でした。

何度もミスして怒られました( ノД`)

あき
Aki

そもそも、渇水を下る経験があまりない…

なので、超苦戦しましたね。

オーストラリアには乾季と雨季があり、僕が行った直後の11月は乾期なので水がメチャクチャ少なかったです。

そのため、慣れないながらも渇水の川を下る技術を徐々に身につけていきました。

オーストラリアのラフティングについては、以下の記事で詳しく解説しています。

オーストラリアのラフティングってどんな感じ?日本との違いを解説!
オーストラリアのラフティングってどんな感じか知りたくないですか? この記事では、本場オーストラリアでラフティング修行した私が、日本のラフティングとの違いを説明します。 本記事を読むことで、オーストラリアのラフティングがどんな感じなのかイメージできるはず! 是非参考にしてください。

それと並行して英語も必要なので、チームメイトに教えてもらいながら、勉強していきましたね。

ただ、僕の場合は基礎学力がないので英語の勉強法は基本的にノートに会話を書きそれを丸暗記していました。

毎日ひたすら声に出して、読み耳で覚えていきました。

どんな勉強法より、これが一番効果的でした。

こんな感じで、渇水を下るテクニックと英語を同時並行で覚えていきました。

オーストラリアでガイドデビュー

3ケ月ほど経った頃僕は、ガイドの試験に合格することができました。

ココが一番の難所!綺麗に下れて、テスト合格(^^)/

あき
Aki

ちなみに、それまで3度ガイド試験には落ち続けています…

試験に落ちる度に泣くほど悔しく「もうこなくていいよ」ってクビ宣告受けそうな雰囲気がありましたね。

とはいえ、オーストラリアでのガイド試験に無事受かる事ができ、晴れて海外でのガイドデビューを果たしました。

ガイド試験では何を見られるかというと…

  • 操船技術(フリップや落水はアウト)
  • トーク力(最低限の英語での会話)
  • レスキュースキル(ロープレスキューなど)
  • <スイム(泳ぐ能力)

等々。

正直言うと、オーストラリアでガイドになれるとは思っていなかったんで、メチャクチャ嬉しかったです。

だって、当初は英語も喋れないし、操船技術も上手いとは言えなかった僕が海外の地でガイドに慣れたんですよ。

それは、めっちゃくちゃ嬉しかったです。

嬉し過ぎて謎にルームメイトと記念写真(^^♪

ここまで来るのに厳しい事もたくさん言われたし、英語ができないからなかなか交流できず悔しい思いもしましたが…

この瞬間は全て報われました。

一生忘れられない思い出(^^♪

ちなみに、オーストラリアでの生活費は全て貯金から賄っていました。
あき
Aki

ガイドになれないとお金は減る一方なんですよね。

まあ、修行で来ていたので半年間(日本のシーズン)まで耐えられるだけの貯金を作り、お金が尽きれば、日本に強制送還されるつもりでした(笑)

無事ガイドになれた僕は、日本のシーズンが来るまでオーストラリアでガイドをしながら、海外ラフティングを日々積み重ねていきました。

日本に帰国

日本に帰ってからは、みんなの僕を見る目が変わったのが実感しましたね。

オーストラリアでガイドした経験は、マジで一生の宝(^^♪


ツアーでは常に、トリップリーダー(ツアー全体を監督する立場)でしたし、新人の育成にも携わりました。

ただ、僕はもともと、人の上に立って仕切ったりするタイプではないんですよね。

あき
Aki

正直、ラフティングの激流やスリルをひたすら楽しみたい…

トリップリーダは全体を見る立場。

なので、自分のボートよりも周りを見つつ、ツアーの進行を優先するので、自分が100%ラフティングを楽しめないんです。

凄くワガママですよね?

とはいえ、「ガイドが楽しければ、お客様も楽しくなる!」ってのが僕の自論。

そもそもラフティングはスリルを味わので、ガイド自身が適度なスリルと遊び心ってワクワクしていると、お客様にもそれは伝染するんですよね。

このガイドさんなら何か面白そうな事をしてくれそう!」、「このガイドなら激流も乗り越えれそう!

こんな風に思われるのが、僕の理想です。

とはいえ、現在は、結婚しラフティング一本ではなく副業として取り組んでいます。

昔のように無茶はできませんが、何歳になってもラフティングをしていきたい所存。

このブログを通じて、僕の人生観やラフティングの楽しさを共感してもらえれば嬉しいです。

【ラフティング初心者向け】楽しく安全な遊び方をプロガイドが解説
ラフティングって怖いスポーツだと思っていませんか? この記事ではラフティングは誰でもできる事を知ってもらうために、遊び方や楽しみ方を具体的に説明しています。 この記事を読むことで、初心者さんでもラフティングを楽しめるという事がわかって頂けるはずです。
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